旅に出るなら夜の飛行機(シルクロード1) [シルクロード]
下田逸郎の曲「セクシィー」の歌詞のなかにこんな1節があった
旅に出るなら夜の飛行機・・・・・・・・・・・・
ソウルのインチョン空港を21時に出発する飛行機の窓から見える風景で思い出した歌
2年前にこのブログで書いたシルクロードの旅
その一部に今回行ってきた
長く想い描いてきた地へ
新疆(しんきょう)ウイグル自治区 乌鲁木齐(ウルムチ)に到着したのは現地時間で1時半
既に日付は変わり空港そばのホテルへ
ホテルの前には明日からのツーリングに用いるバイクが並ぶ
まずはウルムチビールで乾杯
明日からは天山北路を行くシルクロードツーリング
ウズベキスタンの首都タシケントうを目指す
西へ(シルクロード2-1) [シルクロード]
北京時間8時起床
10時出発でツーリングは始まる
熱風 乾燥 どこまでも平らな道
左には雪を抱いた天山山脈
右はどこまでも続く平原
時折見える日干し煉瓦の家々
ポプラの細く高い並木
咲き誇るひまわり
町を過ぎれば荒涼とした原野が続く
150ccまでしか許されていない中国で何故かTT600(笑)
あみだくじで振り分けた今回の中国側での私の愛車はXT400 0号車
快調に100kmオーバーでとばす
途中休憩の後20kmほどペースが落ちてしまう
この時は熱ダレかと思ったのだが
本当の原因は2日後に判明する・・・・・・
ペースも戻り快調にシルクロードハイウェイを行く
中国では単車は通常の給油機ではガソリンを入れてもらえない
故にこのような原始的給油システムとなる
手前が今回の中国側ツアー会社社長のソンさん
奥はスーパーメカニックのチョウさん
チョウさんのスーパーぶりはこの後如何なく発揮されていくのだ・・・・・・・・
中国的トイレの汚さには本当に閉口するのだが
こんな文句も貼ってあるのだ(笑)
書いてあってもけっして守られないことなのだがね
昼食に立ち寄った所にはモスレムの香り
私はこのツアーが始めてのシルクロードツーリングだが
他のメンバーは西安、敦煌と何度かを乗り継いできている
彼らの言う所のイスラムうどん(笑)ラグメン
兎に角辛いのだ
私もその辛さの洗礼を受けた
快調に飛ばしていると
1台に異変が現れた
リアスプロケットのボルトが緩み(!)
ボルトはねじ切れ スイングアームのアルミは無残にも半分以上削り取られてしまった
そんなバイクの横はのどかな農村
あと150kmほどで今夜の宿に着くはず
メカニックにあとを任せ1台は2人乗りで町をめざす
精河の町に入る
中国側ツアーコンダクターは故障車の善後策の為にまだ来ていない
町の入り口の日陰でのんびりと時間を過ごす
なんと言ってもホテルの場所がわからないのだからね
程なくサポートカーがやってくる
故障車はどうなったのか?
高速道路上でトラックを止め
針金をもらいスプロケットを仮止め!
近くの町の修理工場に持ち込み
新しいスプロケットを取り付け
アルミ溶接でスイングアームも直りそうだと言う!
メンテナンスという意識は薄いが
壊れたものは何でも直す
中国的面目躍如!
精河(ジンホー)の町 ボルタラ蒙古自治州
蒙古民族、ウイグル民族、漢民族の入り混じった小さな町
北京時間6時到着
本日の走行距離407.2km
次回は精河の町の様子などを
精河 その市場へ(シルクロード2-2) [シルクロード]
ホテルに荷物を置き
ライディングウェアーから身軽な恰好に着替え町探索へ
市場をのぞく
ウイグル色が濃いところはバザール
漢民族や蒙古族の場合は市場と現地でも使い分けているそうだ
この地の名産である桃、李、瓜、西瓜などが並ぶ
平べったい桃やハミウリがこの辺りの名産
まだ時間が早く屋台は用意を始めたばかり
私たちは北京標準時間で過ごしているが
新疆(シンキョウ)では新疆時間が便宜上使われていて
北京標準時とは2時間の時差がある
国際標準時では日本と1時間の時差だが
ここに住む人々とは3時間の時差だ
正直なところ これらを食する勇気はなかなか無い
身体もこちらの風土にはまだ馴染んではいないし
疲れた体と内臓にはちょっとヘビーすぎる
市場の入り口のおばちゃん達の表情の豊かなことよ
ナン売りのオヤジさん結構鋭いガンをとばす(笑)
ムスリムの青い扉の奥には中庭と住居がつづく
路地を入っていくと広い中庭には露天のビリヤード
因みに向こう側の建物は全てお店に見えないけどちゃんとお店をしてるよ(笑)
入り口のアイスクリーム屋さん
天山の天然氷で作るシルクロードジェラード
さすがに自分のお腹が心配で食べられないのだがね(笑)
ホテルに戻ればもう8時
油が強くどうしても料理は残り気味
香港や東南アジアの中華料理は美味しく平らげるんだけども
中央アジアのこの油と辛さには多少怯む
胃も動転して
体内細菌も日本産と中央アジア産が戦っているのかもしれないね
10時を過ぎてもまだまだ明るい
人々はようやく屋台に集まりだす
活気と匂いに満ちてくる
美味しいのか美味しくないのか
まったく判らないような
そんな匂いと人々と
ザワザワとした世界
現在の日本での生活
気温は10℃ほども低いが湿気が強くまいる(笑)
多少腹の調子も悪く日本を満喫できない(爆)
其処はまるでダリの世界(シルクロード3-1) [シルクロード]
朝7時に散歩に出る
新疆時間ではまだ5時
市場の駐車場は近郷の農家が野菜を売りに来る
小さい町だからこじんまりとした市がたつ
道を掃く人もいる
高速道路でもこのようにして道を掃く
炎天下の高速道路の路肩で荷物と一緒に人がいたりする
最初は何故ここに人がいるのかが理解できなかった
どうやらバス停も無いため定期バスを待っている人らしいのだ
それもいつ来るかも判らない時刻表も無いバス
日陰も無い炎天下で来ただけで幸運なバスを
私のバイクの通行許可書
3ヶ月有効の中国運転許可書もあるよ~
期間を別にすれば立派な中国の免許証
昨日道路上でとんだリアスプロケもちゃんと付いて
スイングアームは溶接されバランスも取れているようだ
昨晩メカニックが直ったバイクを140km乗ってきたのだから
途中で道を外れて博楽を目指す
15kmの直線を走り
ちょっとカーブを曲がれば
また10数キロの直線がつづく
360度何も無い世界を走る
此処のはずれ国境のそばには
太古の昔 海だった様子が分かる所があるという
其処は辺境
警備隊が常駐する
北京オリンピックの為に警備が厳重になり結構手間取る
そこに見える丘の向こうはカザフスタン
そして現れたのは「怪石淘」
其処はまるでダリの描くシュールレアリズムの世界
岩を登り展望がきく処に
其処から見えるのは遠い果てに天山山脈
行ったことはないが月面の様な世界かもしれないね(笑)
休憩所で清流で冷やした西瓜
絞りたての駱駝の乳
ちょっと酸味がありナチュラルなヨーグルト味
内臓に良いというが・・・・・・・・
・・・・・・・たぶん乳酸菌の種類が違うのよね
腹の中で菌同士が喧嘩します(笑)
昼食を摂るために博楽の町へ戻ることにしよう
本来ならこの日に一気にカザフスタンとの国境までいく予定だったのだが
カザフスタンで急に休日が増え
国境は3日間のお休みに入ってしまったのだ!!!
2日間余分に中国で過ごさなければならない
カザフスタンでの現地のゲルに泊っての2日間のオフロード三昧が無くなったのは残念!
広大な平原のパオへ(シルクロード3-2) [シルクロード]
博楽の町は結構大きくて美しい町だ
なんと言ってもあまり埃っぽくないのが良い
蒙古自治州なので料理もモンゴル風
これはモンゴル風炊き込みご飯
羊の肉の塊が上にのっている
辛いピクルスを混ぜて食べる
なかなかに美味
しかしこの頃から私の腹は中央アジアに負けだす(笑)
シルクロード本線に戻り先を急ぐ
道は坂になりトップギアでは登らなくなる
1速又は2速落として登る
満載のトラックはまるで歩いているかのような速度で登る
行く先は暗雲たちこめ雨を知らせる
気温は急激に下がり寒い
2000m以上の高地へ一気に登る
天山山脈の支流の高原に
振り返れば
其処には灼熱の大地と青空
セリム湖の畔にあるパオ到着する
本来の予定では湖のもっと奥の小さなパオに泊る予定だった
今年5月から国立公園内の一般の招待所は閉鎖されたそうだ
ちょっと早い時間だがこのパオで宿をとるしかないようだ
高度2078m
何処へも流れ出さない塩水湖
乾燥した大地から流れ出す地の塩
それがセリム湖
山の気候は激しく変化し
雨を降らせ風をはこび青空も見せる
気温は10数度まで下がる
つい先ほどまで40度を越える所を走っていたというのに
パオの中は柱の無い構造
伝統的な色に塗られた柱たち
もちろん電気はディーゼルエンジンの自家発電
この広大な草原をなんと表現したらよいのか
写真でしかお見せできないのが残念
此処に来れただけで今回の旅の目的は果たしたような場所
草原にはラベンダーの原種のような草花
そっと葉っぱをつまみ擦るとなんともいえない良い香りがする
なかなか暮れない太陽もようよう傾き始める
この広大な風景に陰影をもたらす
お湯をもらいに厨房棟へ
其処には煙突構造の湯沸かし器
下の蛇口をひねればお湯が出る
水は井戸
今回の旅は飲んだくれない旅
でも今夜は白酒(ぱいちゅう)およそ50度
飲まない人には臭くてたまらない(笑)
飲みだすと甘い香りと味に杯を重ねる
この器は飲むために口を割る
開けたならば空けねばならない
パオの中でのモンゴル料理
ウイグル族に言わせるとまったく違う料理だという
私たちにはそれほど違うようには思えない(笑)
食事も終わり
外に出ると日はまさに大草原に落ちようとしている
寒さもつのりダウンジャケットとカッパを防寒用に着込む
見事な夕日のシンフォニー
ちょっと前までの雨が信じられないような空
3日目にして私の身体は悲鳴を上げて
腹痛、下痢、寒気
ダウンジャケットを着たまま早々に布団に潜りこむ
身体を丸めじっと痛みと寒気の去るのを待つ
夜も更けた頃
ヘッドライトを頼りに何度目かのトイレへ
勿論トイレットペーパーは持参
だいぶ痛みも治まるが寒さはつのる
見上げると月も沈み頭上は満天の星空!
七夕には2日早いが
天の川は天空から天山山脈のシルエットに消える
今回の目標の1つ
司馬遼太郎も驚いたというモンゴルの星空
黒い所より星の輝きの方が多いという満天の空
そんな星空には及ばないかもしれないが
美しい星空に出会えた
寒さも尋常じゃないがね(笑)
本日の走行距離 273.2km
高原の湖(シルクロード4-1) [シルクロード]
現地の人のこの恰好を見たならば
その寒さを少し感じていただけるだろうか
昨晩の不調もだいぶ収まり
同行の友人の持ってきたわかめスープが身体に優しい(笑)
湖の周回路に出る
1周100km
次の道へ出るまで約70km
時折羊の群れが行く先をさえぎる
カッパの上下も着込み完全武装で走り始めた
湖畔の草原に出ると
馬糞には茸がはえている
この高原で何と言う生命力だろう
モンゴル系牧童はフレンドリー
一緒に写真に納まる
たまに会うバイクは必ず手を上げていく
山の端にはパオが点在する
数箇所の公園ゲートで止まると
どからともなく人々が集まり乗せろと言う
少年は凛々しく馬上で我々を見送る
湖畔を外れて山を下る
結構なラフロードでしかも長い
しかしこの道も天山北路シルクロードのメイン幹線道路
あえぐ様に大型トラックは登り
乗用車は無理な追越をかけ
その横を我々が生き生きとして走りぬける(笑)
途中 私の0号車はリアディスクの引きずりと 時たまブレーキがかかったままになる
途中の休憩場でオイルを抜きブレーキの解除
姿勢変化の為にリアブレーキを使うが
このラフロード 少しスピードを落としていかないとね
多少道もよくなってきた所に小さな町も現れてくる
昼食
げんきんなものでラフロードを楽しんでいたら
腹の痛みも消えてきた
坂を下りてきたらもう寒さで腹が冷えることもないしね(笑)
この店のラグメンは辛さも強くなく(慣れた?)結構美味しい
唐辛子より山椒の香りと辛さがメイン
モスレムのお店にはモスレムのお客さん
戒律上食べるものが制限されている人々は
同じ宗教の店に集まる
店の女の子は手前から向こうへ器用にナスを削いでいく
今日の目的地 カザフ自治州の州都伊犁(イーニン)を目指す
イーニンのバザールへ(シルクロード4-2) [シルクロード]
昼食を終えて走り出す
まだまだラフな道が数十キロ続く
伊犁(イーリン)の街近くなると道は3車線に変わるそして舗装の道へ(笑)
時間もあるので早速街へバザールへと
此処はカザフ自治州の州都
以前は清王朝の頃の新疆の省都
これはその頃の町の中心の楼閣
帝政ロシアに攻め込まれ 今のカザフスタンやキルギスの土地を失った
ロシアとのあまりの国境の近さに省都はウルムチに移された
此処まではモンゴル系のタクシーでやって来たのだが
彼らはウイグル系住民のバザールには入りたくないらしいのだ
2ブロック手前で降ろされる
微妙に漢人、モンゴル人、ウイグル人、そしてカザフ人キルギス人の棲み分けがなされている
あくまで中国は漢人の国
子どもの頃から育ったこの地でウイグル語を知っていても漢人はそれを話そうとはしない
バザールはウイグル人カザフ人やキルギス人のもの
漢人の集まっている所は市場が立つ
バザールに入り込むと其処は迷路のようになっていて方向感覚を失う
洋服、靴、日用品、家電、スパイス、そして数え切れないほどの食べ物の屋台
この広さは2日や3日じゃ回りきれない(笑)
蛇、トカゲ、ヒトデ、蛙・・・・・・・・・・得体の知れない漢方薬
この子はカザフ系かな カメラを向けるとポーズをとる
数々のナッツ類とドライフルーツ
手前の緑の乾しブドウは新疆名物美味!
陰に入れば男たちはカード博打に精を出す
バザール・・・・・・其処で売られているものは・・・・・・・・混沌
バザールからホテルへ戻り夕食
一休みしたあとすっかり暗くなったホテルそばの漢人の市場へ
本日の走行距離 186.4km
明日はまだ開いていない国境の街ホルゴスへ
イリ川そして林 則徐(シルクロード5-1) [シルクロード]
今日は国境の町ホルゴスまでの100km足らずの移動
早く着き過ぎてもなにもすることは無い
なんと言っても今日まで国境はお休みなのだからね
朝早くからの雨
バスにてイリ川に架かる大橋へ
イリ川についてはwiki を参照していただくとして
この不毛の地での灌漑にどれほどの水を使うのか
国際河川のこの川の下流にあるカザフスタンとの紛争の種だろう
雨も小雨になった頃
次に訪れたのは林 則徐記念館
林 則徐についてはやはりwiki を参照してほしい
林 則徐記念館は今中国に4箇所作られているという
今何故林 則徐なのか
私なりの浅知恵で考えるに
麻薬問題と攘夷思想を彼を使ってしているのじゃないかという浅知恵
この地には多くの問題があり 多くの民族が住まい
近代国家としてオリンピックをする中国を内外にアピールしなければならない
新疆ウイグル自治区自体が歴史的に抱えてきた問題も多い
そして今も抱え続けている
イーニンを見なければ新疆の美しさはわからない
最近の観光のうたい文句らしい
確かに郊外に出た所の家々の門構えは素敵に美しい
この写真はホテルの裏で撮ったもの
美しい扉ではないよ念のため(笑)
美味しい水餃子の昼食を食べ終わるころには すっかり雨も上がり暑さが戻ってきていた
昨日の泥んこのラフロードの為にバイクは汚れているが
リアブレーキはすっかりリペアは完了していた
スーパーチョウさんのおかげ(笑)
まさかこの辺境の地でYAMAHAの部品が調達できたとは!!
イーニンの街の郊外
1800年以前の古都を訪れる
帝政ロシアに攻め込まれて焼き払われた街
7年後にこの楼閣だけが再建されたのだという
何度かの改修を経て 今は文化財になっている
将軍府も最近再建されたようだが あくまでも観光用
南の城壁の門を潜り
天山北路中国側最後の町ホルゴスを目指す
国境の町(シルクロード5-2) [シルクロード]
カザフ自治州の州都であるイーニンの周辺イリー地区はラベンダーの産地
観光用に小さなラベンダー畑がある
これけ見ると北海道には遠く及ばないのだけれども
道を外れ奥に行くと見事な畑があるらしい
道は砂利道に変わりもうもうとした土煙の中を進む
辿り着いたのはホルゴス
信じられない様な青い空と閑散とした町
このホテルはカザフスタン資本で建てられた新しい招待所
噂では凄い所に泊ると言っていたのだが
小奇麗で素敵なホテルだ
もっとも売店も食堂も無い
2kmほど離れた国境を見物に
この道を行くともう中国では無く欧州だよと言っているような道路標識
3日間休みだった国境
明日の混雑はどの位のものなのか
このとき私たちは知らなかった
凄まじいことになるとは
夕食は小さな中華料理の店に入ったのだが
この辺境の町で味などアテにはしていなかったのに・・・・・・・
素敵に美味しい料理を食べることが出来た! 驚き!!
今夜から明日にかけての命の水が配られる
国境を越えカザフスタンに入っても暫くは水は無い
ホルゴスの原野に夕日が沈む
急ピッチで進む開発
中国側のバイクを持ち込むことは出来ない
明日は徒歩とバスで国境を越える
本日の走行距離 97.2km
混乱の国境(シルクロード6-1) [シルクロード]
ホルゴスの朝食は部屋に届けられた弁当
湯沸しで湯を沸かし茶を入れる
食堂のまだ整備されていないこのホテルで中国側スタッフの心遣い
9時には国境に向かう
10時に国境は開く予定・・・・・あくまでも予定・・・・・・
3日間閉鎖されていた国境には多くの人々が並ぶ
この並ぶというのが曲者(笑)
誰もが列など作らない
隙あらば何処からでも横から入ってくる
炎天下の中待っていると10時半にゲートが空く
混乱のゲートは押し合いへし合い
ゲートそばのポーターは荷物を運んであげると言っても・・・・・・・・
彼らはゲートの中に入ることは出来ない・・・・・・・
金だけ取ってゲートが開けばとんずら(笑)
押し合いの中私達もいくつかの荷物がゲートの外に
ポーターに頼んだのではないが受け取れなかった
中国国境警備官がゲートでの混乱を避けるためか荷物をそこで受け取らせてくれない
無理に渡そうとすると係官はその荷物を外に捨てる
罵声が飛ぶ 怒る 食って掛かるもの・・・・・・・壮絶
40インチはあろうかという液晶テレビを2-3台持ち込む者
ダンボールを数個引きずる運び屋・・・・・・・・・・・
ちょっと待つと中国側スタッフが荷物を入り口まで持ってきてくれる
彼らは身分証明書を見せて私たちに荷物を渡す
彼らに別れを告げ
この混乱に呆れながら出国手続きに・・・・・・・・
此処からは撮影禁止で写真は無い
なんと言っても銃を手にした係官が沢山いるのだからね
出国手続きに並ぶ・・・・・・・列は無い・・・・・・
当然横から入ってくる・・・・・・・ブロック・・・・・・
わめき散らす人々
「グルッポ」「グルッポ」と言って入ってくる団体
いったい何処のグループだと言うのか
「並べ!このタコ!」
「後ろ行け!並べ!」
こちらも日本語でまくし立てる
こんなことは決してしたくないのだけれど・・・・声をあげなければ・・・・・何時間も順番は来ない
中国とカザフスタンの国境には5kmの中立地帯がある
其処は歩くことは許されない
ミニバスで行くしかない
大混乱の出国をした後
このミニバスに乗るのにも大混乱
値段の折衝から始まる
乗り込んだのは良いが・・・・・なかなか出発しない
此処でドライバーは荷物の料金の追加を言ってくる
それでもどうにかミニバスは動き出した
定員の3倍の人を乗せて
数十メートルも行くと中国公安がパスポート検査でバスを止める
何人かが外に出なければチェックは出来ない
そして数十メートル・・・・・同じことが繰り返される・・・・・・どのクルマも・・・・・・
日本人たちは規定料金(あるらしいのだ!)の2倍を払った
他の大量の荷物を持った人々は3倍払ったらしい
カザフスタンゲートの手前でクルマは止まり口論が始まる
私たちの目の前で金の受け渡しがまた始まる・・・・・・やれやれ
カザフスタンの入国審査は両国の中立地帯のど真ん中
ここからカザフスタンのバイクスタッフが待っている所までまだ数キロ
この分の料金も既に払っているのだが運転手はバックレル
まともやうんざりしながら出国の混乱と同じ事を繰り返し入国
「グルッポ」「グルッポ」の声が横から響き気力を萎えさせる
またもや足元を見るミニバスの運ちゃん
地元の人と同じ条件だよ
特別日本人だからといって吹っかけられている訳ではなさそうだ
9時半前にゲートに並び始め
5時間が経過してようやく国境を越えた
随分と以前まだ中東やパキスタンが今ほど危険じゃなかった頃
陸路国境を渡ったことがある
混乱と罵声と機関銃
でも2時間も掛からなかった
欧州ではパスポートを見せるだけだったし
とにかく・・・・・・・私たちはカザフスタンに入国した
中国とは2時間の時差があるから12時半が現在のカザフ時間
腹ペコですから
中国からバイクを持ち込むことは出来ない
ここからはTT-R250が私たちの足となる
やれやれで此処からはカザフスタンの旅が始まる
カザフスタンだ~(シルクロード6-2) [シルクロード]
ソ連時代のカザフ共和国は中国と国交はない
この国境も1992年以後に開かれたもの
国境近くに村は無く 喉の渇きを潤すには50kmは走らなければならない
昼食は100kmも行かなければ食堂は無い
ようやく冷たい飲み物を見つけて人心地つく
中国を越え別の国へ入った実感
この4姉妹は英語を勉強していて英語が通じる
ここカザフスタンはスターリンによる過酷な抑圧政策の暗く厳しい過去がある
ソ連時代の事を聞いてもカザフのスタッフは口を開こうとはしない
遠い昔の出来事のような気がするが
常に体制に蹂躪されてきた庶民は口を閉ざす
地続きの平原
中国とそんなに急には風景は変わらない
見渡す限りのカザフ平原と天山山脈は付いて回る
アスファルトは暑さと大型車でのたくり
所々舗装は剥がれ
道は荒れている
途中ちょっと小高い丘に登る
キャルンキャニオン
モトクロスのウォッシュボードの様なこぶが延々と続く
遠くに見える森は3000年以上昔からの其処にしか生えていない木々の森だと言う
今夜の宿泊地アルマトイの標識が現れた
この手前では路肩の段差の無いやけにフラットな所を通った
飛行機好きの同行の氏は誘導灯を確認したと言う
辺境の道の一部は飛行場の滑走路だったのだ!!
100キロ以上走りレストランが現れる
試しにコーヒーはあるかと尋ねる
果たしてコーヒーはあった!
中国西域では叶わなかったコーヒー
旧ソ連領に入れば欧州の香りがしてくる
コーヒーを飲むことが出来ると信じていた(笑)
頼んだラグメンはこの地でラグマンとちょっと名前を変える
そして味も優しくなってくる
まるでスパゲティナポリタンちょっと辛めか焼きうどん(笑)
そして辿り着いた所はアルマトイ ホテルカザフスタン
ちょっと前までの首都
今の首都はアスタナ
しかしアルマトイが今でもこの国最大の都市
まだ明るいが到着は8時を回っていた
チェックインに時間もかかる
ロビーでコーヒーを飲めるのも西欧風
世界第2位と言われる石油埋蔵量
豊富な鉱物資源
そんなカザフスタン最大の都市アルマトイの大きな西欧風ホテル
ロビーではPCを広げてる姿も多く見られる
得体の知れないような人々がゾロゾロ
もっともホコリ臭いヘルメットとブーツの我々も此処では結構場違い(爆)
旧ソ連領の国でありながら従業員が笑顔で対応するのが素敵
(旧ソ連及び東欧では従業員の笑顔など見たことが無いのだからね!!!)
さすがに10時を過ぎると暗くなる(サマータイムは今年から無くなった)
ホテルの窓から見たこの国最大の都市の夜景
国境越えで5時間かかったが
本日の走行距離 359km
もしかして此処はキルギス?(シルクロード7-1) [シルクロード]
アルマトイのホテルの窓からは雪の天山山脈
緑が多い坂の街
一見ヨーロッパ ディティールは中国(笑)
相変わらずトイレには扉が無いし
場所によっちゃあ仕切りも無い
昨晩遅くに着き このまま此処を出発したのではアルマトイの印象は無いよね
なので近くの公園を行きがけに寄っていく事にする
今では懐かしいような旧ソ連邦のマーク
ここカザフ共和国から対独戦争に行った者達のモニュメント
此処には無名戦士のモニュメントもある
楽器博物館もあったのだが残念ながら此処は見ることが出来なかった
中をちょっと覗くと中央アジア発祥の弦楽器中心の博物館のようだ
ギターの原型もこの辺りだし
日本の琵琶もシルクロードを渡りやってきたのだしね
カザフスタンはイスラム教徒が半分近くを占める
しかし帝政ロシアの支配下にあった為ロシア正教の大きな教会もある
旧ソ連邦はイスラム教徒の団結を防ぐ為イスラム文化圏のこの辺りの土地を5つの共和国に分けた
アルマトイの街は市電も走り随分と欧州風
朝のラッシュアワーはアジア風の混乱と喧騒
左折車は2重3重になり道を塞ぐ(日本の右折ね)
大型車が混雑の中Uターンする
勿論車線などという考え方は存在しない
その中を縫う様に走る
1歩郊外にでれば勿論走りやすいのだがね
自動販売機などは勿論無い
もっともこれは日本以外は何処の国でもそうだが
ようやく村の自主的個人販売所(?)で冷たいものにありつく
旧共産国の常でこの国の警察は大きな権力を持つ
滞在許可証が無い為にパスポートまで没収された者もいるという
検問所も多く 村に入ると全ての車がスピードを極端に落とす
我々が通ると検問所から警察官が飛び出してくることも何度かあった
カザフのスタッフが言うことには
前に出て止められるまでは警告は無視することだと言う
下手に止まれば有る事無い事ですったもんだするらしい
幸い今回はレーダーも回避できたし
警察ともこれと言った揉め事も無かったのは幸い
200kmほど走り
交差点近くでこの先の道の確認をしていると
横の店のオヤジが茶をご馳走するから寄っていけと言う
この蜂蜜の味は素敵!
酒は御法度のモスレムだ
食事を出したり冷たい物を出したりする街道のカフェと言ったところか
本来のシルクロードであればこの辺りでキルギスに入国して
首都であるビシュケクを抜ける
その為には1日に2度の国境越えをしなければならない
時間の問題とビザの煩雑さを嫌い
キルギスとの国境に沿った道を行くことにしていた
そこでカザフスタッフから提案があった
近道があるという
その道は地図上ではキルギスに入ってしまっているのだが国境検問は無いと言う
下で提示する地図を見てもらえば分かるが
その道はカザフからカザフに行く道
2本ほど南下してキルギスに行く道もあるが
其処に国境検問があるだけで真っ直ぐに抜けるなら問題は無いと言う
素敵に荒れ果てた国境の道
100km近く家も無く勿論電柱なども無く
途中軍の無線設備だけがある道
其処は触らぬ神にたたりなし・・・・・勿論カメラなどは出さずにさっさと通り過ぎる
日本ではめったに見られないような荒れたターマック
時々むずがるリアにトラクションをかけてフルスロットル ノンストップ
楽しい!!!
この道を飛ばしていくバスや車の乗員は必ず頭にたんこぶが出来る!
新しく出来た中国の高速道路を除けば
この辺りの道はそんなものなのですがね
今日の宿泊地メルケの街に入っていく
初めての踏み切り
それも其れに止められちゃってんですから(笑)
鉱物、石油を運ぶための生命線である鉄道
ここはディーゼルだがこの先西に向かうと電化されている
踏み切りで待っていると
踏み切り係りのオジサンが行けと合図をだす
まだとうぶんは閉まっていそうな踏み切り
呆れながらも遮断機を潜り先を急ぐ
此処メルケにはホテルが無い
民家に泊めてもらうことになる
本日の走行距離 370.9km
カザフ温泉イイ湯です(シルクロード7-2) [シルクロード]
ここメルケの町にはホテルが無い
レストランをやっているバハさんの自宅に泊めていただくことになった
バハさんと2歳になる息子(名前忘れちゃった・・・・・・)
カザフスタイルは日本のように床に寝るのだと言う
暑過ぎる時は外で寝ることも多いと言う
事実おじいちゃんは玄関の外にマットを出して寝ていた
夜露も降りず快適に寝られるらしいのだ
ここで3択
1.バハさんの所の1つのバスルームで順番にシャワーを浴びる
2.近くの温泉に行く
3.山に行ってきれいな空気を吸う
3番が意味不明なのだが
こんな選択肢を提示された
やっぱここは温泉でしょ!!
カザフ温泉!聞いた事無いし!!
何も無い平原にそれはぽつんとあった
中を覗くと地面からパイプが飛び出しぬるい水ががんがん湧き出している
女性が入っている時はカーテンを閉めてね
結構近所から水浴び(ぬるい)に来ているものだね
カザフのスタッフも初めてで来た事が無かったのだと言う
マッパで小屋に入る
ジャスミンの香りがする温泉水
快適!爽快!まさかカザフ平原で温泉に入れるとは!!
身体を拭いていると外は夕闇迫る
な~んもない地平線に夕日が沈む
馬で温泉を浴びに来ている人もいた
まじりっけなしの正真正銘の地平線
なんてこったい!!!
バハさんのレストランで食事は始まる・・・・・・・・・
羊肉の大きさにひるむ・・・・・・・結構美味しいのだがね
イスラムの戒律どうりに
お祈りをして解体 そして熟成の時間はおかない為ちょっと歯応えも有る
カザフの男は羊1頭を食べきらないといけないとバハは言う
3時間も4時間もかけて1頭の羊を食べるのだと言う
それが出来て初めてカザフの男として認められるのだと言う
足1本でも食べ切れませんから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
力自慢の彼は腕相撲をしようという
2人掛りでやっても負けそうですから・・・・・・
そのうちにカザフ出身の力士が出てきますよ!絶対!!
幸いだったのは彼がイスラム教徒だったこと
このペースで酒まで進められたら・・・・・・・・・
明日からの旅行は出来なかったかもしれない(笑)
中央アジアのロミオとジュリエット(シルクロード8-1) [シルクロード]
旅は続く
舗装路を離れオフロードも走りたくなる
本来ならば国境のお休みがなければ
オフロード三昧の2日間が用意されていたはず
カザフスタンの道を外れれば全てはこんな風景
嬉々としてオフロードを楽しむ
カザフのスタッフが言う
1000km以上オフロードだけでツアーが出来ると
だけど私たちのミッションはシルクロード
でも・・・・・大昔のシルクロードはこんな道を行ったに違いない
何も無い原野
でも・・・・心を揺るがす全てが其処にある
無心で走り抜ける
暫く走るとTALAS(タラズ)の街
ここは「タラス河畔の戦い」で有名な古戦場
唐の軍隊とサラセン帝国が戦い唐が敗れた
唐の捕虜に紙漉き職人が居た為
その後西方に紙の技術は伝わった
そしてこの地にイスラムの信仰が伝わった
遠い昔8世紀のことだ
小高い丘から望むその町には当時の面影は勿論無い
しかしそっと地面に手をあてれば
その意識と歴史と人々の想いが流れ込む
鉄の原点もこの辺りだし
ティムールの王朝もこの辺りに築かれた
アイシャ・ビビ廟
敵であるカラハン朝の王と恋に落ち父親の反対を受けたアイシャ・ビビ
密かに家を抜け出しタラス川の河畔で王を待っていた時に毒蛇に噛まれて死んでしまった
これを知った王がアイシャ・ビビの為に建てた廟
この話は中央アジアのロメオとジュリエット
蛇に噛まれたと言う
蛇は竜
アジアでは竜は神の化身
西欧では悪魔の使いドラゴン
なんだか象徴的だ
ここには80種類以上のテラコッタが使われ
12世紀からの当時のテラコッタも残っている
私たちはシムケントへ向かう
無愛想!!!(シルクロード8-2) [シルクロード]
もう何度載せているか・・・・・・・こんな写真
風景が変わらないので全部同じに見えます(笑)
今回私は最後尾
先を行くバイクたちがカッコイイでしょ
今までずっと続いていた左側の雪を抱いた天山山脈は
ここでやっとその姿をただの丘に変えた
今夜の宿泊地シムケントに着く直前に1台がパンク
あれよあれよと人が集まり
何処から来たかとか
一緒に写真を撮ろうとかかしましい
子供たちの好奇心は何処でも同じ
シムケントのホテルに入る
なんと!リビング付きのスイートじゃないか!!
旧ソ連のときからの天井の高い部屋
昔は豪華だったと感じさせるバスルーム
でも・・・・・バスタオルが無かったり
予約してあった部屋が違ったり
それを言うと「そんなことは無い!」の一点張り!
勿論愛想などは無いよ~
外貨獲得の為外国人レートになっている値段
まるで旧共産国時代のまんま
サービスとかテキパキとかお湯が出るとかとは無縁
ソ連時代まんまの姿が其処にあった
・・・・・・・・・それもまた「旅」か・・・・・・・・・
回りは値段の高いレストランばっかり
多少はリーズナブルだと言うロシア料理の店へ
ボルシチ、ロシア風サラダ
なんだかとっても普通でホッとしたりして(笑)
チキンやラムを串焼きにして
巨大なチャパティに包んだような料理
・・・・・・・・・・なんと言っても・・・・・・・量が多すぎますから・・・・・・
カザフスタンに入ってからは料理が美味しい
中国ではあんなに残していたのに
げんきんなもので腹いっぱい食べる(笑)
しかし!この店のウェートレスの愛想の無いことよ!!!
今回の旅行中1番の無愛想でしたね
製氷室でキンキンに冷えたウォッカが美味い
本日の走行距離 364.4km
そしてバイクを降りた(シルクロード9-1) [シルクロード]
この旅で見かけた自動車
古いフィアットのノックダウン生産車だったり
ラーダ・ニーバだったり
シムケントのホテルの裏に停まっていた決してそんなに古くないバス
何処の国にもいるお調子者
是は勿論アウディーではないが
カザフで目立っていたのはアウディーだった
勿論型落ちの車が多く欧州や日本の中古車を販売したものだろう
三菱デリカ、オデッセイ、エスティマ、・・・・・・・・等等・・・・・いっぱい
40℃近い気温の中をシムケントを抜ける(40℃は越えてるかも)
ここでまた国境の封鎖があった
ここから1番近い大きな国境は工事に入ったのだと言う
そこまでの80kmほどで今回の旅のオートバイとはおさらばのはずだった
私たちは100km西の次の国境を目指す
一休みすれば
其処には素敵なカザフスタンの姿
途中カザフスタッフの友人の国境警備隊員と待ち合わせをする
次の国境の情報を収集する
あと100kmも走るとカザフスタンからはさよなら
道を走る車の数もめっきりと少なくなり
本当にこの先に国境が在るのかと思うような道を行く
国境の小さな町に着いた
遠くからバイクで走ってきた見慣れない異邦人に子供たちが集まる
何処でも子どもたちの好奇心には励まされた
そしてスタッフとも此処で別れる
バイクの旅も終わった
私たちだけの国境
押し合いへし合いも無しに
静かにカザフスタンを出国する
建物を出ると兵士が立っていた
日本からかと言うと
日本の貨幣を貰えないかと言う
財布を捜すと50円玉と5円玉
穴の開いた貨幣は結構めずらしい
渡すと他の兵士と分けて喜んでくれた
ウズベキスタンの入国審査までは1kmほど
ロバの馬車に乗らないかと子どもがやってくる
どうしようもないほどの青空
西に来るほど気温が高くなっていった中央アジア
自分の足で国境を越えるのは悪くない
ヘルメットを腕に提げ
歩きにくいブーツで国境をいく
ウズベキスタンの入国も簡単に済んだ
ただこの国に入国するには持ち金全ての申告が必要だ
出国時にも同様なことがあり
特にドルやユーロが調べられる
この事でウズベキスタン出国時にもひと悶着あるのだが・・・・・それは後で(笑)
この国境からはバスに乗り東へ60kmほどの首都タシケントを目指す
世界で2番目の耕作面積を誇ると言う綿花畑
ソ連時代の農業政策で作られたコットンフィールド
クルマの移動は退屈だ
あまり変わらない車窓の風景は眠気を誘う
やはりシルクロードはバイクに限る(笑)
タシケントの街に入れば其処は大都会
ソ連時代からの南西部の1番大きな都市
乾いたこの暑さに冷たいものが嬉しい
緑も多く整然とした佇まい
ホテルに入ると
中庭のプールにはビキニのお姉さん
この国も石油、天然ガス、鉱物資源、ウランなどで潤っている
ニューリッチの出現で貧富の差は広がり
インフレに悩まされている
マトリョーシカ
元々はパリ万博(1900年)のロシア館で有名になったもの
それにしても色々あるね~
一説には日本の七福神入れ子がその元になっているというが
夕食まで時間もある
地下鉄に乗ってダウンタウンのバザールへ行くことにしよう
本日の走行距離 194.4km
チョルスーのバザール(シルクロード9-2) [シルクロード]
タシケントは中央アジア最大の都市
2000年以上前から栄え
ティムールの都であり
中央アジアの要でもあった
地下鉄に乗ってエスキー・シャハール旧市街を目指す
ここタシケントは1966年の地震により壊滅的打撃を受ける
その後復興して新市街と旧市街に分かれた
第2次大戦の日本人抑留者の建てた劇場がその時びくともしなかったのは有名な話
その抑留者たちの眠る墓もこの地にはある
中央アジア唯一の地下鉄
モスクワの地下鉄よりはこじんまりとしているが広く清潔だ
勿論!撮影禁止なので警察官の居ない時を見計らってシャッター(笑)
日本の地下鉄よりは幅がだいぶ広い
駅はシャンデリアがあったりして面白い
多少灯かりが少なく暗いが駅は蛍光灯の明るさではなく温かい
これがトークン
日本円で30円ほどか
さてチョルスー駅で降りると
上がったところからバザールは始まる
さまざまな香辛料
果物、野菜、チーズ、衣類、ニューススタンドにチャイハナ(食堂)
こんな専門店もあったりする(笑)
この辺りから旧市街が始まるそうだ
そして路地を入っていくと迷路のようになっていて
時間と空間が止まり
何百年も昔のイスラムの世界へ連れて行ってくれるのだと言う
残念ながら今回は私たちにそれを体験する時間はなかった
そしてこのダウンタウンの入り口付近には多くの朝鮮族が住む
ソ連時代の民族移動政策で東の果てから連れて来られた人々と末裔
人口の数パーセントを占めるという
ただただシルクロードの空気を肌で感じる旅が今回の旅
観光する時間も限られていて・・・・と言うか・・・・ほとんど無し(笑)
走っているのが素敵で楽しかった
次回のシルクロードはここタシケントがスタートになるはず
そしてまた西を目指す
その時まで旧市街地はオアズケ(笑)
帰りの地下鉄を乗り過ごし大慌て(笑)
外に出てタクシーを拾い
他のメンバーの待つレストランへ
このレストランはタシケントでは超高級店!
ウェートレスは背が高く美人ぞろい
注文したものがなかなか出てこないのは中央アジア(笑)
イルミネーションも輝く
トイレも綺麗(笑)
10杯ほどのビールにこんな札束が必要(笑)
1年で物価は2倍になっているようだ
国境を越え
辿り着いたウズベキスタンのタシケント
午後のちょっとしたした時を過ごしたら
明日の朝3時にはホテルを出てタシケント空港に行き
また中国のウルグチを目指す
そして帰路につく・・・・・・予定(笑)
再びウルムチへ(シルクロード10-1) [シルクロード]
3時に起床しコーヒーだけの朝食を済ませ空港に急ぐ
タシケント空港に着いたのは4時
6時半のウズベキスタン航空のウルムチ行きに搭乗予定
ウズベキスタン航空は乗客が少ないとその飛行を取りやめにするという
カウンターで搭乗手続きをするまで本当に飛ぶのかが判らなかった(笑)
先ずは税関で並ぶ
早朝で係員は少ないし不機嫌(笑)
どうにか順番は来た・・・・・・・・が
私たちメンバーの内4人が別の小部屋へ(笑)私も入っています
申告したドルの検査
検査書を出せと言う
そんなもん税関でもう取られてるジャン・・・・・・ありませんから
不手際と段取りの悪さ(向こうのね)
私たちのあまりに少ないドルの所持金に呆れて放免(笑)
此処からの出国審査が問題!
すなおに外国人用に並ぶ並ぶ並ぶ
中国出国時と同じ混乱と順番を守らない人々
定刻を過ぎても飛ばない飛行機イスタンブール行き
彼らが優先と係員は大きな声を出す
その度に列の移動をさせられる
遅々として進まない審査
続々と横から現れる人々
2時間が経過しても順番は来ない
「6時半のウルムチ行きに乗るんだぞ!」と係員に詰め寄る
「イスタンブール行きは5時半出発だ!」と係員は怒鳴り返す・・・・6時半になろうとしていた
チェックインをしていたら飛行機は待っていてくれる・・・・・大きな間違へ
チェックインをしているのに乗客が定刻に居ない場合
テロの危険から荷物は降ろされ飛行機は行ってしまう
これは最近の常識になってきた
日本では結構待っていてくれたりもするがね
7時ちょっと前飛行機に辿り着きそうだ
審査の時横から入ろうとした中国人を私たちはブロックして入れさせなかった
搭乗の前 彼が凄んできた
一触即発の事態
向き合う顔 怒鳴りあう
殴り合いになる寸前に止めに入る者があり回避(笑)
飛行機に入るとほぼ満席
呆れたような乗客の顔と目が意味するものは・・・・・・・・・・
イスタンブール行きだと言って優先的に審査した連中が大勢座っている
真面目に係員の言うことを聞いて並んでいた日本人はバカみたいということだった・・・・・・・・・
飛び立つと間もなく崑崙山脈とヒマラヤの山々が見えてきた
そして バイクに乗り続けている間にずっと見えていた天山山脈
天山南路に広がるタクマラカン砂漠
2時間半であっけなく私たちが陸路で走った所を飛び越える
中国ウルムチに入国する時もすったもんだがあったがもう言うまい
ラゲッジクレームには私たちの荷物だけがベルトの上を回っていた・・・・・・・・
時差の調整をしてもウルムチはまだ昼
先ずは昼食
今夜深夜の便で此処を出発して日本へ
半日は此処に居る
新疆ウイグル博物館に行って
NHKシルクロードでも有名になった「楼蘭美女」のミイラとのご対面としますか
楼蘭美女は白人の女性だと言う
遠い昔から
人類がアフリカを出発して世界中に旅に出た時から
人類の交差点はそこらじゅうにあったはず
失われた砂の中の都楼蘭もそうだったのだろうし
メソポタミアはこの中央アジアを通り黄河文明と交易をしていたという
人類のクロスロードがここにはあった
ニ道橋市場は最後のバザール(シルクロード10-2) [シルクロード]
シルクロードと言う名は19世紀ドイツの地理学者が中央アジア旅行記で使ったのがはじめだと言う
東トルキスタン(新疆ウイグル地区)を東西に分ける道のことだった
伝えられるその道は3本
イスラム化される以前のウイグル語で書かれた貿易の記録が本来のシルクロードなのかしらん
私たちの知っているシルクロードはペルシャ語で書かれたシルクロードか中国から
実際に中央アジアを走って感じることは
実際のシルクロードは東西ではなく多くは南北の問題が歴史に深く関わっていた
そしてこの西域の地が発祥の楽器たち
胡弓(こきゅう)とか胡瓜(きゅうり)とか胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、胡椒(こしょう)
この胡の字が使われているのは
この道を通り西方から東方に伝えられてきたもの
胡椒などは唐辛子よりも日本に伝えられるのは早かった
ちょっと裏通りに入ると混沌と同居した世界
文明の交差点でありながら大航海時代以後忘れ去られた世界
日本で思うシルクロードは敦煌がやはりイメージの中心かしらん
たぶん中国西域がシルクロードなんだね
玄奘三蔵が通ったのは行きは今回私たちが通った天山北路
彼が帰りに通ったのは天山南路だという
他のメンバーは3回目のシルクロード
今回私は始めてのシルクロード
「早く追いつけよ!」と言われた(笑)
秦漢の時代そして唐の時代
既にこの道は歴史を運んでいた
三国誌に曰く
紅毛碧眼の将軍も出てくる
シルクロードはグローバルな歴史の中に在った
今回は本当に贅沢で豊かな旅をすることが出来た
観光はほとんどしなかったけど(笑)
風も光も暑さも寒さもバイクだから感じられた
草原ではその暑さの為に小さな竜巻が何本も起きていた
楽かった旅は終わる
ウルムチは中国西域第1の都市
シルクロードの要
でも最後の晩餐はやっぱり食べきれないし
やはり辛すぎてまいったけどね(笑)
夜11時にはウルムチ空港に向かう
その前にホテルでマッサージ
10日間の旅の疲れを癒す
その後2時半発の飛行機に乗り
韓国ソウルを経由して翌日の正午成田に着いた
気温はたいしたこと無いが
日本の湿気にはまいったがね!(笑)
今回 私にはもう1つの思いがあった
この時期ここを旅して
素敵な楽しい旅であったなら
走った分だけ楽しんだ分だけでも
四川地震に寄付をしてこようと思っていた
日本に居る時にその事を中国側スタッフに連絡して
寄付を出来るNPOとかの団体を探してもらっていた
此処ウルムチでは赤十字が安心して寄付できるだろうと彼らは言った
旅の途中で同行の仲間たちにその事を伝えた
皆快く賛同してくれた
集まった金額は円・ドル・ゲンを合わせて十数万円分
ちょうどお休みに当たった日であったが
ウルムチ市赤十字のスタッフは受付の為に出てきてくれた
メンバーの名前は西域単車旅行団(笑)
本当に贅沢で楽しい旅に感謝
同行のメンバーの方々に感謝
勿論長々と書き流してきたこんな記事を毎日読んでくれた皆さんに感謝
7月3日から13日までの旅行
2回で全行程の旅行記を書き予約投稿とした
早く書いておかないと忘れてしまうからね(笑)
掲載写真244枚
バイクでの総走行距離 2252.8km
2427kmの快楽 シルクロード2010 [シルクロード]
仲間の1人が言った
「1度パリダカを走ってみたいとずっと思っていたが
300km続くオフロードでイッパイイッパイだもんな〜
ごめんなさいだよね」
50度はあったんじゃないかと思う気温
400km走っても変わらない砂漠の風景
イスラムの碧いタイルより藍い空
ラクダ、ロバ、馬、羊、ヤギ
砂漠、オアシス、世界遺産
止めどなく流れる汗
水は何よりのご馳走
照りつける太陽と満天の星空
そんな旅をしてきた
ふたたび西へ シルクロード−1 [シルクロード]
そして始まり国境へ シルクロードー2 [シルクロード]
シムケントには当地のモーターサイクルクラブのメンバーが迎えに来てくれる
シルクオフロード・モーターサイクルクラブ
ロシアマフィアのような風貌のセルゲイと 剽軽なマラット
バイクの置いてあるところまで移動
車窓から望むシムケントの街
その異国然とした街並みを望めば自然と口に出る
「また来ちまったな〜」
ただ異国の地を走るだけなのだが
いったい何がそんなに楽しいのか
飛行機で移動すればすぐ済むところを
なぜわざわざバイクで行くのかね
サポートカーのトレイラーにはガソリンのジョリ缶
今回のツアー前半はまだ街があるが
後半は何百キロも街もなければガソリンスタンドもない
品質の良いガソリンがいつも手に入るとは限らない
今回用意されたバイク
スズキDR650スペシャル(サスペンションを短くしてある)
ホンダXLR650
ヤマハTT600
ヤマハWR250モトクロッサー
ホンダCRF450モトクロッサー2台
ホンダCRF250モトクロッサー2台
細くて硬いシートの競技用車両が5台
くじ引きでまず引き当てたのはTT600
次に乗ったのはWR250
結局国境以後はXLR650に落ち着くのだがね
2年前にも走った道を走る
道のちょっとした記憶は覚えているモンだ
途中から前回とは違う国境へ向かう
快調にカザフスタンの道をとばす
休憩すると、どこからともなくこども達が集まる
酔狂な輩は好奇の的
そんな道も突然の通行止め
理由は判らない
とにかく目指す国境には行かれない
前回歩いて渡った国境へ向かうしかあるまい
大回りしながら国境沿いの道を行く
200キロほど走れば国境のゲートにたどり着いた
昼食と国境をバイクで越えるための書類の作成
私の名前の車両証明
バイクの車検証(ID)
ウズベキスタンの通貨シムへの両替
昼食はラグマン
私達はイスラムうどんと呼んでいる
熱いラグマンを運んでくれた娘は
ア〜熱かったと手を吹く
こども達は皆人なつっこく働き者だ
さてさて初日の大仕事出国と入国
いったい何時間かかることですかな・・・・・・
カザフスタン・ウズベキスタン国境
国境そしてジザフへ シルクロード−3 [シルクロード]
国境に到着したのが14時半
昼食、バイクの書類の用意、出国準備
旧ソ連邦の弊害であるお役所仕事
17時40分カザフスタン出国
2年前荷物を持って歩いた2キロ程の道をバイクで行く
長く続くトラックの行列をかすめて先頭へ急ぐ
17時50分ウズベキスタン入国審査
外貨持ち込み制限
持ち金全てを申告書に書き込む
勿論出国時は持ち出し制限もある
適当に書き込めば出国時にもめる
バイクは臨時輸入物扱い
国内保険2ドル(何の保健かは判らない)
なんだか判らない2ドルは道路管理部に払う
私が初めて外国に出かけたのは40年前
当時1ドル360円
当然当時の日本にも外貨の持ち出し制限があった
予防注射のイエローカードも必要だった
いつの間にかに簡易になった海外渡航
長い列に並びながらそんなことを思い出した
国境を越えたのは19時
時差が1時間あるので現地時間で18時
国境を出たところのカフェでスタッフの入国を待つ
どこの国でも隣接する国の人間の入国にはうるさいものだ
カザフスタン人の入国はもめにもめる
事前送金したドル
現場で渡したドルも彼らは持っている
窓口も人によって言ってくることも違う
持ち込める金額、書類も人が違えば言ってくることも違う
窓口をたらい回しにされる
当然インフォメーションもない
後で判るのだが
カザフスタッフのサポートカーは随分とドルを没収されたようだ
事前に全員でドルを分散させていればOKだったのに
それは後の祭り
このカフェで2時間ほど待つのだが
近所のこども達が集まってくる
ヘルメットをかぶりグラブをして写真を撮れとせがむ
バイクにまたがって遊ぶこども達
バイクを倒してしまう輩も出てくる
大人達に怒られて退散するこども達
私のグラブはその時持ち去られてしまったようだ
悪気があったとは思いたくない
グラブをしたまま遊んでいて
近所のおじさんに怒られて逃げていくとき
私のグラブをしたまま逃げていってしまったのだろう
ヘルメットじゃなくてよかった(笑)
すっかり夕闇迫る頃、カザフスタッフのサポートカーが入国できた
さてこの暗くなる時、我々はウズベキスタンをスタートする
今夜の宿泊地ジザフまでは160kmほどか
20時スタート
途中すっかり真っ暗になる
対向車のヘッドライトはアップのまま
街路灯が全くない道
シールドに反射した光は、私達の視力を奪う
オフロードバイクの貧弱なヘッドライト
前を走るバイクのテールライトだけが頼りだ
24時ジザフ到着
途中給油をしながらどうにかたどり着いた
休憩の時に見上げた空には満天の星
初日からの夜間走行
翌日からは仲間の持っていたスペアのグラブで走る
ラッキーでありました!
本日の走行348km
ジザフ
サマルカンドへ シルクロード−4 [シルクロード]
ジザフの街を朝食前に散策
日陰に入れば涼しく感じる
スイカの美味しさは格別!
さてと出発・・・・・
と思いきや・・・・・
1台のバイクはオイルが漏れているし・・・・
私はバイクの鍵をなくすし・・・・・
タンクを外してオイルラインの交換
私のバイクは直結
鍵は後から出てくるのですけど・・・・
先ずはジザフの郊外
ティムールの軍隊が立て籠もったと言われるほろ穴
落書きがイッパイね
ほどなく世界遺産サマルカンドに到着
昼食の後、観光ね
ちょっとだけ気軽な格好にかわってタクシーに乗る
街中のクルマ達はおっかないよ〜
昔、日本のタクシーはカミカゼタクシーと外国では呼ばれたが
ここのクルマ達もタクシーも凄い!
現地スタッフはサポートカーのトレイラーの修理
紀元前10世紀から栄え
アレキサンダー大王さえその美しさを称え
元により徹底的に破壊され
その後ティムールにより復興した都
そのティムールが眠るグリ・アムール廟
目を見張る室内の造形
外と同じモチーフが色を変へ大きさを変へ繰り返される
そしてやはりこの碧いタイル
カラフルな絹織物
レギスタン広場はサマルカンドの顔
レギスタンとは「砂漠」という意味
人影が無いのよね
入場料と写真撮影料は取られます
この広場の建物はメドレセ(神学校)
1417年から1660年にかけて建てられた
ミナレット(塔)
これらが皆微妙に傾いている
「遠近感の誇張じゃないか」
「なにか深淵とした意味があるのではないか」
私達は意見を戦わせた
聞いてみると何のことはない
「地盤が弱いんですよ」
「!!!!!!」
大体がそんなもんです
深読みする必要はありませんでしたね
その昔、キャラバン隊はこの塔を都の目印としたのだという
バザールをちょっと覗いて
私達は今夜の宿ブハラへ向かう
17世紀都はサマルカンドからブハラに移った
ブハラも世界遺産ね
そのブハラまであと300kmあるのだ
サマルカンド
またナイトライダーなのね シルクロードー5 [シルクロード]
だいたいが朝バイクを修理して
サマルカンドもちょっと観光して
今夜の宿がブハラってのもけっこういそがしいのです
16時過ぎにサマルカンドを出発
300km離れたブハラの都を目指す
街道で休憩すれば人々が集まる
どこから来たのか
どこに行くのか
写真を撮れとか携帯のカメラで記念撮影とかね
夕暮れ迫れば
仕事を終えた少年も家路につく
西へ西へと移動すれば
日が暮れるのも遅くなる
それでも今夜もナイトライダー
ブハラにたどり着いたのは23時
街に入りタクシーに先導を頼む
とんでもない所に案内されていく
後から皆に聞くと
「このまま仲間の所まで連れて行かれて
身ぐるみ剥がされるな 」
思っていたことは皆さん一緒(笑)
無事そんなこともなくホテルに到着
案内したタクシーの運ちゃんがよく判らなかっただけみたい
先ずは食事
この時間どこも食堂は閉まっている
空いているのはディスコとイタリアンレストラン(笑)
中央アジアの果てまで来てイタリアンですから
それだけここブハラが国際的ってことかしら
さもなければ、やはりローマにつづくシルクロードなのかしらん
先ずはロシアのビールで乾杯
続いてドメスティックビールで乾杯
左がセルゲイ、右はマラットね
ちょうど現地の人々が誕生日のお祝い
大音量の中踊り出す
やはりイスラム風で男同士ね
でもでもアルコールもあったな〜
けっこうゆるゆるなイスラムでした〜
本日の走行386km 合計734km
ブハラ旧市街
ブハラの路地 シルクロード−6 [シルクロード]
ここブハラも世界遺産
一時はサマルカンドにその座を渡すが
3000年の歴史を持つ中央アジアの要
泊まったホテルはまだ新しく
イスラム風に部屋は中庭に面している
路地に分け入り先ずは早朝の散歩を楽しもう
やはりこども達の笑顔からスタート
お母さんも笑い転げる
青い扉が主張するね〜
おばちゃんが話し込むのは万国共通ね
この旧市街はブハラの下町
おいちゃんは自転車で出かけるし
おばあちゃんは撮った写真を見せると笑顔で顔を崩す
ロバに乗ったとぼけたオッサン
高名な神学者フッジャ・ナスレッディン
現地の人々にも私が似ていると言われ
高名なる神学者でありますから光栄であります(笑)
その神学校がナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
鳳凰が足に山羊を掴んでいます(意味は知りませんよ〜)
カラーン・モスクとカラーン・ミナレット
ミナレットはオアシスへの灯台
カラーンは大きいと言う意味
元によって徹底的に破壊されたものを作り替えた
掘り返すと、原始仏教寺院跡、その上にゾロアスター教寺院跡
その又上にイスラムの寺院が建っているのだという
そして今でもこの地には現役のメドレセ(神学校)がある
ここのオアシスの土を使った焼き物
手書きの器は1つずつ絵柄が微妙に違う
皿買いました・・・・・割れました(涙)
器買いました・・・・・傷つきながらも存命(拍手)
アルク城を見たら出発!
500km離れた古都ヒヴァへ
10時10分出発
ブハラ リャビ・ハウス
デザートでございます シルクロード−7 [シルクロード]
毎回道の写真は代わり映えがしないね
とにかくブハラを出発ヒヴァに向かう
とにかく暑い熱い
バイクの温度計では華氏150度を超えている
そのまま換算すれば65度
流石にそこまでは無いにしても確実に50度は超えている
こんな簡単な道標が立っている
途中のたまたまある日陰で地図の確認
風が吹けば道は砂に埋もれる
地吹雪のように砂は路面を走る
まだ荒いながらも舗装した路面があるだけましか
400kmの長さの砂漠の中にも2カ所ほどカフェがあった
昼食を採る
ガソリンスタンドはない
遅れてきたサポートカーから給油
そんな気温の中でも日影に入れば天国か
日影でも40度以上あるかもしれない(笑)
しかし湿度も5%未満だ
砂漠の風景は360度地平線まで変わらない
キジルクム砂漠
砂が終われば、土漠が続く
わずかなアンジュレーションはあるが
果てしないように道は続く
どうにかオアシスにたどり着いた
400km走って流石にガス欠
配給に頼っているウズベキスタンのガソリン事情
数件のガソリンスタンドに寄ってもガソリンはない
ガソリンの闇屋からペットボトルガソリンを購入
当然品質は悪い
しかし、背に腹は代えられない
回転を落とし、スピードを落とすしかない
アムダリア川を渡る
トルクメニスタンとの国境近くに流れるアムダリア川
ブハラもこれから行くヒヴァもこの川の恵みによるオアシス
建設中の橋も見えるのだが、この川にちゃんとした橋はない
船を並べて鉄板を張った浮き橋を渡る
21時45分ヒバ・イチャンカラこれまた世界遺産に到着
メドレセ(神学校)を使ったホテルに宿泊!
イチャンカラは城壁の中の町とういう意味
城壁の外にバイクを置くのは危ない
どうにかしてくれないかとホテルに相談する
階段を上がってメドレセの入り口に置けという
世界遺産のど真ん中がバイクのパーキング(笑)
砂漠でこびり付いた汗と砂をシャワーで落とし
22時半これまた隣のメドレセを使ったレストランで食事
いやはや今夜はディナーでございますから
熱中症の為か鼻血を出すもの多数
私も食事の後ホテルの部屋で嘔吐
暑さと疲れの為か
皆には飲み過ぎと言われてしまっているが・・・・・・
本日の走行512km 合計1246km
ヒヴァ イチャンカラ
イチャンカラ シルクロードー8 [シルクロード]
この城壁都市は説明はいらないだろう
とにかく写真を見て頂こう
メドレセの入り口ミナレットの元に置かれたバイク達
これがホテルね
ラマダン前のイスラムのご婦人達の団体が通る
彼ら彼女らはラマダン前後に巡礼をかねて聖地を訪れる
夏の宮殿
左の入り口は大臣
真ん中が首相
右が王様専用
このイスラムの青はラピスラズリーだといわれている
アレキサンダー大王により欧州に伝えられる
土産物屋のおばさんは、売り物の毛糸のソックスを編む
説教者から放射状に立つモスクの柱
参拝者が柱の影にならないようにとの配慮
わざわざ柱の影に入る者がいるのも世の常(笑)
栄えた当時の石畳の道
馬車の轍がくっきりと残る
王の執務場
冬の寒さの時には
この円い処にパオ(ゲル)を建てる
狭い処に大人数、即ち暖房なり
ハーレムでございます!
柱が立っているのが4人の婦人の部屋
手前、写真を撮っている方はその他大勢の部屋ね
さてと、ミナレットにも登ります
完全に観光旅行してますから
初めてバイクウェアーじゃなくて軽装なんです
バイクブーツじゃない普通の靴は歩きやすい(笑)
日干し煉瓦の土色
それは砂漠の土の色
キジルクム砂漠のキジルクムとは「赤い砂」という意味
赤茶けた砂の大地
ウズベキスタンから海に出るには
少なくとも2つ以上の国を通らなければならない
東西南北近くても4000km以上海からは離れている場所
さてと、ランチをいただいて
そろそろ出発しますか
今日の目的地はヌクス
ウズベキスタンの中の別の国カラカルパクスタンの首都
今日はお気楽ね〜 シルクロードー9 [シルクロード]
ヒヴァを14時20分出発
北西に進路をとる
前回とは違う浮き橋
船と船との間のギャップはけっこう広い
おっかないんだか面白いんだか
国家建造物なので写真を撮ると警官がうるさい
これはそっとね
橋を渡った処のカフェで一休み
どこからともなくこども達は集まる
橋を渡りしばらく行くと
又、赤い砂漠
近くにジグラット(城砦跡)も望める
カラカルパクスタンの入り口が現れた
最終政治決定権はウズベキスタンに譲るが
民族習慣言語も違う別の国
国境の煩雑な事務が無いのが嬉しい
たどり着いたのがカラカルパクスタンの首都ヌクス
小さなホテルの名前はJipek-Joly 現地の言葉でシルクロード
ソビエトを思わせる街の風景
この街には美術館がある
サヴィツキー美術館と呼ばれる
スターリンにより退廃的と決めつけられたロシア・アバンギャルド
多くの作家はドイツに逃げるかシベリア送りになった
カンディンスキーやシャガールも亡命作家である
サヴィツキーは遠隔のこの地で埋もれていくロシア近代絵画を集めた
ロシア近代美術の粋がこの地にある
あまりにも僻地であるが為スターリンの魔の手もここまでは及ばなかったようだ
残念なのは到着する時間が遅く
地下に展示してあるその絵を見られなかったこと
ここではモーターサイクル仲間に出会った
香港在住のカナダ人2人
ギリシャまでバイクを船で送り
モンゴルまで行く途中だという
イランやグルジアの素晴らしさを語る
中国はその走行料金の高さに断念したのだという
私達の次の目標地点はイランとこの時決まる(笑)
このホテルには多くの西洋人が宿泊している
欧州の旅の情報誌に載っているのだろう
ライスープ(米の入った重湯のようなスープ)もおいしいし
プロフ(炊き込みご飯)も全く脂っこくない
・・・・・・・・ただ・・・量が多いけど
今日の走行181km 合計1427km
カルカルパクスタン首都ヌクス
スターリンと当時の芸術家
作曲家ショスタコーヴィチ
モンタージュ理論で有名な映像作家エイゼンシュテイン
作家ゴーリキー、詩人マンデリシターム
そんな関係が書かれた本がある
平易な文章ではなくちょっと読みづらいが
興味のあるかたは是非
とにかくまっすぐなんですから シルクロードー10 [シルクロード]
このシルクロードの旅は、なにも好き好んで過酷なところに行く訳ではない
昔、ここを通った旅人達は3年の月日をかけローマから西安の都にたどり着いたのだという
アジアハイウェーとして存在する現代のシルクロード
そんな道を同じような空気を感じながら走ってみたいだけ
尺取り虫で進むこの旅は事前に地図上でルートを決定する
道があるという情報はあるが、グーグルアースで見ても道らしきものが無い場合もある
当然町もない
今日のルートは鉄道は走っている
とにかく行けるところまで行って、道が無くなれば貨車にバイクを乗せるしかない
グーグルマップを下に貼り付けてある
ーをクリックしてみて欲しい
何十本もの道が砂漠に延びているが
線路以外はまともな道が見あたらない場所
行ってみるしかない
ヌクスから百数十キロ
最後の町を越える
町外れのイスラムの墓所
断続的に未舗装の道が続く
堅く締まったフラットダートはまだ写真を撮る余裕もある(笑)
干上がった湖の跡は真っ白に塩がこびり付く
最後の町ジャスリックから北西に進路をとる
道はある
とにかくまっすぐな道
衛星で見てもまっすぐ
300kmまっすぐな道
本当になにもない風景
道から少し奥まった処に1本の木を見つける
何かの通信施設のようだ
無口な2人の若者がいた
この木陰で昼食
昨日の宿で作ってもらった弁当
キュウリ、トマト、リンゴ、ゆで卵、サンドウィッチ
1本の木があるだけで安らぎ人々は集うことが出来る
300kmのまっすぐな道で
あったのはこの1本の木だけだった
ここからは街道を望める
時折巨大なトラックが通過していくのをぼんやりと眺める
西の方から3台のバイクが走ってくるのが見えた
私達の行く方からやって来た
手を振っても判らない距離だ
酔狂な者達は世界中にいる(笑)
時折出会うのはラクダ
既に野生のヒトコブラクダはいないのだという
この親子も放牧されているのだろう
だけどだけど見つけるのは結構大変だと思うのだけど・・・・・・
嬉しい誤算だった
道があったらラッキー、よしんば道があってもオフロード
そんな風に思っていたこの砂漠
真新しい舗装路があったこと
カザフスタン国境近くまで行けるところまで行く
今日はそんな予定で7時には宿を出た
そして砂漠でキャンプの予定だった
今日中に国境を越えられるかもしれない
この旅後半の合い言葉
「行っちゃいましょうよ!」
ヌクスから国境まで440kmほどか
ヌクスから国境への砂漠地帯
黒く見えるのは鉄道の線路